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「電力」に対する意識

2011年04月30日 12:21

今回、この震災で特に大きく取り上げられた副産物として、関東では【電力不足】。この一言に尽きる。
この電力不足のために、直後二週間は耳慣れない「輪番停電」で大騒ぎ。道路では信号や街路灯も消え、夜の街は真っ暗。電車もまともに走ってくれない。いや、実際走ってくれない路線も出た。
生産現場では機械がまともに稼動せず、加工産業は大打撃を受けることに。また春はいいが夏場は大口需要に対する規制も入るのは必至で、各社各産業界は今から対策を練っている様子だ。

普段、何気なく使っている電気。現代人としては、ガスや水道と同じように、またあるのが当たり前な空気のような感覚で電気を使っていた。実際、私自身も今ほど意識した時期は無い。

ここに日本列島の衛星写真がある。すでにニュースサイトなどで見たことのある方もいらっしゃると思うが、震災前の日本列島と震災直後の日本列島の「夜の日本列島」だ。アメリカ海洋大気圏局(NOAA)が公開したものだが、東北主要都市の明かりが激減しているのがよく分かる。電気網が壊滅的になってしまったためだろう。
697_20110325-NTLCompare.jpg
National Oceanic and Atmospheric Administration (NOAA)

日本では、富士川を境に交流用電気(いわゆる家庭用100V)の周波数が異なる。
富士川~糸魚川を境界線にして、西側は60Hz、東側は50Hzだ。

何でこんなことになったのかと説明するには、歴史を簡単に紐解く必要がある。
まず明治24年、今の東京電力の全身である東京電灯が、ドイツから2台の発電機を輸入。これが50Hzだった。
一方、関西電力の全身である大阪電灯は、アメリカから60Hzの発電機を輸入。このことをきっかけに、その後各地で電力会社が乱立した(当然、周波数はバラバラ)が、時代とともに電力会社が吸収合併し、現在の形に。
結論を言うと、たまたま西では60Hzの電力会社ほうが多く、東では50Hzが多かっただけだ。

このような東西を二分している状況が状況が、まさか東日本を苦しめることになるとは恐らく誰も想定してなかったのではないか。いや、想定していたとしても、実際になるとは思っていなかったのではないか。

西日本で生産されている電力を東日本にまわせれば、夏場や冬場のピーク電力に対する不安払拭に繋がるのに、と思うのだが…。現実はそうはいかないのが現状だ。
確かに周波数変換施設はあるのだが、現実は、100kW/h程度の施設が数基あるだけだという。これではまったく役に立たない。
またこの周波数変換施設を作るには結構な金額が必要らしく、普通に発電所を一基作れるくらいだとのこと。
であれば、普通に発電所を作ったり、休止中の発電所の再稼動を行ったほうがいいというのが経営者の判断らしい。

首都圏が消費する電力のうち、ほぼ半分ほどの電力は発電所が首都圏に無い。
言い換えれば、自前の土地に発電所を設けず、地方に電力生産をお願いしてきたわけだ。
そしてその地方にお願いしてきた内容というのは、ご存知の通り柏崎刈羽原発であり、福島第一原発と第二原発だ。
また東北地方では女川原発が休止中になっていて、こちらでも電力不足が懸念されている。

首都圏では休止中だった火力発電所を再稼動させ、また複合式ガスタービン発電所を新設して夏場を乗り切る予定だと東京電力はアナウンスしている。ただ、これらの事項は一時的なもので、今後も永続的に行えるかということには疑問符が付く。
エコだのCO2削減だの地球温暖化防止だのと謳われている世の中で、電力を作るために化石燃料消費を増やし続けることができるのか―。もちろんその問いには「No」が突きつけられるだろう。したがって、われわれ東日本管内にいる人間、特に首都圏にいる人々は、今後は湯水のように電気を使ってはいけないのだ。
だからといって、自然エネルギーを有効利用するにはまだまだ時間と技術が必要だ。太陽光ひとつとっても、こんだけムラがあると、正直まだまだ使いにくい。風力発電だって、安定した風が程よく吹き続ける場所が日本にどれだけあるのか、疑問だ。まともに稼動していない風車が全国にどんだけあるのか…。

今まで地方に押し付けてきていた「原発」のツケが、今こうして巡り巡ってきているのだと思う。

確かに生産活動や経済活動は、被災地や今後の日本にとって必要だ。だが、何でも電気で便利になってきた世の中から、少し脱却しなければならないのではないかと思う。
実際、駅ではエスカレーターが止まり、商業施設の照明は半分ほどが落ちている。空調だって、以前ほど極端ではない。

でも、だからと言ってみんなそれほど「困っていない」。
今までが便利すぎたのではないか。

今後はそんなちょっとした気遣いが必要な世の中になっていくんだと思う。

0506.jpg
Nikon D300s+SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM 静岡県川根本町

横浜郊外の夜明

2011年01月31日 03:48

冬の午前6時前の日曜日。まだ街は眠っている雰囲気が漂う。
動いているものといえば、朝早くから働いている新聞配達や犬の散歩で歩いている人くらいか。

地平線付近の空の色が赤くなり、そろそろ朝が訪れる。
そうそう、鉄道もすでに目覚めていた。近くを走る鉄路から、リズムを刻む心地よいサウンド音が辺りに響く。

Nikon D300s+SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM

遠くランドマークタワー周辺の空の色も、とても綺麗な色に包まれはじめた。
0399.jpg
Nikon D300s+Nikon D300s+SIGMA 55-200mm F4-5.6 DC

そろそろ、街も起き始めるのだろう。
機材を撤収する頃、少年野球に向かう子どもらが傍を通って行った。
彼らと白い息を吐きながら「おはよう」とあいさつを交わす-。

高川山からの富士山トワイライト

2011年01月25日 23:27

初狩にある高川山からの富士山は素晴らしいものがある。また、一時間ほどで登れ、初心者向きの山だと、以前読んだ山の本に、このように書いてあったので、いつかは行ってみたいと思っていた。

1月、三日月が夕刻に落ちる日に、運よく山に登れる機会を作ることが出来た。
空は快晴。風も穏やかで、何をするにもいい日和。
日中に車を止める場所を下見しておいて、いったん昼食。午後2時半再び山の麓に来て、登山開始。

初心者向けということで、標識は至る所に立っていた。おかげで道に迷うことなく、山頂へと向かえる。
ただ、勾配は予想以上にキツイ。しかも立ち止まれそうなちょっとした平坦な場所もほとんどない(><)
なかなか自分のペースで登れず苦労したが、後半は少し緩やかになって登りやすかった。

この山は「男坂」と「女坂」の2本が主流の道で、私は緩やかな道だという「女坂」で登る。それでも途中、道が崩れていて迂回するところや、ロープが張ってあって足元がおぼつかない場所もあった。帰りは真っ暗な道となるので、位置関係を覚えながら登る。

Nikon D300s+SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM

最後の急坂を登り切り、1時間15分で山頂に到着。
辺りは360°の大パノラマ。こんなの久々!
言われていた通り、苦労して登った山の山頂からは富士山が出迎えてくれた。

日も沈み、辺りが暗くなり始める。眼下には都留市街の明かりが灯り始め、思わず見入ってしまう風景が広がる。
17時30分、空が最高の色を見せてくれた。
0397.jpg
Nikon D300s+Tokina AT-X 124 PRO DXⅡ

この景色を見るために、ここに来たのだ。
気温はマイナス5℃。でも、その寒さなどすっかり忘れさせてくれた。

臨港パークの夜明

2010年09月15日 16:19

まだ夜明前の臨港パーク。
ところどころに照明があるものの、真っ暗に近い。
公園内に入るまでは明るいので、目が慣れるまで、歩くのがちょっと怖いくらい。

錨のモニュメントを正面から。背後には横浜港の海、ベイブリッジ。倉庫の照明が明るい。

Nikon D300s+SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM

夜明。空の一番低いところから次第に明るくなっていく。
波を打つ音だけが時折響き、潮風が海の香りを運んでくる。
0379.jpg
Nikon D300s+Tokina AT-X 124 PRO DXⅡ

船の出る時間は人がたくさん居るが、さすがにこの時間は誰も居ない「ぷかりさん橋」。
0380.jpg
Nikon D300s+SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM

今日も朝が訪れ、一日が始まる。

Panorama 360° 夜明けの臨港パーク

2010年09月13日 06:42

夜明け前。いつもは人であふれかえる臨港パーク内も、とても静かだ。
時折、警備員が自転車で巡回していたり、明け方まで話し込んでいる若者がいたり。それくらい。

空は高く、雲が列をなして横切っていく。オリオン座も顔を覘かせ、季節感を出す。

Nikon D300s+SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM

緑色の芝生と海、そして高層ビル群―。
都会の喧騒の中にある、静かなオアシス。


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